僕のユニークな選択と、周囲のクローズドマインド。それでも自分の選択を信じるという生き方

著者:eml
京大理系院2回生。startup企業に飛び込ることを選んだアウトエリート。変人を地で行く。

僕は新卒で小規模なベンチャーに入ることにした。
参考:京大理系院の僕は 名も知れぬstartup企業を選んだ

京大⇒京大理系院卒という最強の資格(?)を捨てたと言われようとも、僕にとってこの決断は正しいことだと思う。

むしろ次代をリードするのは僕らみたいなやつで、まだそのことに気付いてない人たちが可哀想にすら感じている。

しかし、困ったことが一つある。

僕の自信の根拠は、まだ正当化されていない。

いくら考えた結果であっても、それが自分自身にとってどれだけ正しいことであっても、そこに確証やエビデンスは(現時点では)存在しない。

全てを実行し、成果を出し、自分の選択を正当化した上で先見の明を示す。それは、まるで先の見えない真っ暗な道のようなもので、「この道はきっと大丈夫だ」と信じることに他ならない。

優しさとクローズドマインドは紙一重

上述の通り自分の選んだことを正当化するのは大変で、覚悟が必要な行為だ。

選ぶ時はドSに。

進む時はドMにならなければいけないとすら感じている。

が、その様子はもやしっこぞろいの2010年代にはなかなかイカれてるやつに見えるらしい。彼らはとても優しく、そして異端に思える僕自身との議論を避けようとするのだ。

オープンマインドで、ロジカルで、バイアスのかかっていない人々との議論は人を大きく成長させる。僕自身その価値を知っているし、『僕の選択における論理的弱点』については理解しているので、彼らと話してみたい欲求はある。

にも関わらず、優しい彼らは僕の心を傷つけることを恐れてか、それとも争いを避けてか、はたまた見捨ててか、絶対に僕自身の選択に対する率直な意見を言わない。言ってくれない。

彼らにとっての優しさとは、臭いものに蓋をするクローズドマインドのことらしい。

こうなると僕も困ってしまう。

どうやら超有名企業に複数内定するのが当たり前の京大生にとっては、「ベンチャーへの就職」はアンタッチャブルらしい。。

業界TOP5に入っていない企業への就職は、良くて意識高い系として流され、大抵は『就活失敗組』として哀れみの対象となってしまう。

そのためか僕自身、内定後は周囲から殊更に気を使われていると強く感じていた。

そんな彼らと無理やり話を続けようと、僕も才能を無駄使いして、全力の優しさを発揮する。

適当な妥協点を探しながら、就職先の描写をコントロールして対応していくのだ。新歓や合コンでそれぞれバックグラウンドの違う女の子を相手にするのと同じスキルを使って。

相手の考え方のラインを読み解いて、決してポジティブな空気を損なわないよう細心の注意をはらいながら会話をつなげていく。

こんな周りに合わせて日和りまくる自分の姿は、もはや滑稽ですらあるだろう。

臭いものに蓋をするという美徳により失うもの

日本独自の文化と言っても過言ではない「臭いものに蓋をする」という考え方自体はそこまで問題ではない。

それは一見すると争いの無い、素晴らしいことかもしれない。

みんなでよってたかってありとあらゆる臭いものに蓋さえしてしまえば、常に、誰も見たことのない新しいものが生まれては育ち、誰しも古い習慣に囚われることは無く、毎日が変化と発展の繰り返しになるに違いない。

そこは、情熱と勇気が溢れ、老いも若きも活気に満ち、世界から常に羨望と尊敬の眼差しを集め続けている衰えしらずのエネルギッシュなフロンティアだ。

それこそ優しい日本人だからこそなせる発展のロールモデルとして教科書に載せてもいいかもしれない。

…と、皮肉が過ぎた。

僕が思うのは、蓋をしてしまうことで失うものは大きいのではないかということだ。

新たな価値観に触れた時こそ自らを高めるチャンス

冒頭の繰り返しになるが、僕自身は僕の判断が正しいと考えている。なんのエビデンスも無いが。

この20数年において自分自身の判断に間違いは無かったはずで、大体のことは周囲に反対されようが全て努力で見返してきた。

自分と違うものに出会った時、人は成長する。

異種を受け入れることへの心理的抵抗感を乗り越えることで、一つずつ成長出来る。これは、ある意味、自己の破壊と再構築の繰り返しだと思う。

正直かなり大変なことだが、これほど実りある果実も他に無いと思う。

生命も、自らを構成する分子の持つ、エントロピーの増大という崩壊のシナリオから逃れられない。それはきっと、新たな生命という秩序の再構築のためだ。

だからこそ「置きにいく態度の人」を見ると、やるせない気持ちになる。

「なんでそんな無謀な事を?」とか、「馬鹿なことしましたね。」と呆れるのも分かる。頭が良いと、つい批判するのが上手くなるのはある種、仕方のないことかもしれない。

率直な意見を交わし、それぞれが持つ考え方を ”空気なんて読まずにぶつけあう” という建設的な議論はとても勇気のいる作業だ。

だけどそうすることで、きっと僕は自分自身の考えをもう一歩深めることが可能になるし、彼らにしてみても新しい発見や成長の機会があるかもしれない。

争い事を避ける気持ちもよく分かる。でないと、社会が成立しないってのはもっともだ。

僕ら少数派が好き勝手言えるのも、大多数が支える社会があるからで、こういった”アンチ”な論調はまるで責任を負わない野党のようなやり方だ。実にセコイ。

それでも、僕らには本音で意見を言い合う勇気が必要だと思う。

おわりに

長々と暑っ苦しい事を書いてきたが、こんなことを書けるのは芋ロックを飲んで、魔界に誘われる寸前だけだ。

とにかく足りないのは、経験とか実績という保守的なおっさん好みのモノで、僕はこれからそれを手に入れなければならない。ドSの辻褄合わせでドMにならなければいけないのだ。

覚悟を、決めよう。

僕ももういい年齢だし、これ以上文句ばかり書きすぎるのはダサい。最後に僕の好きなアメリカの詩人、ロバート・フロストの[ The Road not Taken ]から言葉を借りてこの文章を締めくくろう。風呂に入って、明日の実験に備えなければ。

Somewhere ages and ages hence:
Two roads diverged in a wood, and I—
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.

ずっとずっと昔
森の中で道が二つに分かれていた。そして…
そして私は人があまり通っていない道をえらんだ
そのためにどんなに大きな違いができたことか

僕が選んだのは、つまりそういう道なのだ。

アウトエリート編集部

アウトエリート編集部

若き異端児達の“自”論展開メディア「アウトエリート」編集部。ちょっとした瞬間や毎日の生活の中で役に立つ…かもしれない知的な情報を上手いこと編集して流していきます。

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